京都、路地のなじみ

じわっと溢れる甘み
口福に心華やぐ助六の折

写真・伊藤 信 文・坂本 綾(アリカ)

京阪出町柳駅から東へ徒歩5分ほどの鞠小路通まりこうじどおり。今出川通との交差点から北へ向かうと、京みやげとして人気の阿闍梨餅で知られる『満月』の本店が見えてくる。

その手前の路地を西へ入ると、古びた格子窓が美しい、六軒長屋が連なっている。そのうちの一軒が『万里小路まりこうじ 中村屋』だ。戸口の間近に寄ってやっと見える、小さな「中村屋」の看板が目印の、持ち帰り寿司の名店である。

品書きは原則として「助六寿司」のみ、注文は前日までに電話か店舗にて受け付け。この飽食・情報化の時代にあって、豪華とも便利とも言えないこの寿司を、贅沢を知り尽くしているはずの著名人までもが、みずから足を運んで求める。

その名代の「助六寿司」は、折箱にかけられた経木の蓋を取ると、フワッと広がる海苔の香りが最初のごちそうだ。そして小ぶりのいなり寿司の、揚げの奥からしみ出してくるような、何とも言えず深い甘みとコク。対するきゅうり巻き・新香巻きは肉厚の海苔が香り良く、あっさり軽い酢飯がいなりと好対照。交互に口へ運べば、箸が止まらない。

店の始まりは約70年前。座敷を退いた元芸妓の先代が生家に戻り、祇園町へおはぎの配達・行商を始めたのが最初だという。いつしか商いは寿司に代わり、お稲荷さんの総本宮・伏見稲荷大社社務所の御用も務めるように。現在は二代目主人の中村一郎さんと妻の都茂子さん、三代目を継ぐ健太さんの三人で、繁忙期には週に千人前の助六を調製する。

海苔は創業以来付き合う祇園の乾物店、酢は東山『村山造酢』の「千鳥酢」、醤油は西陣の『澤井醤油』と材料は良いものを。そこへ調理で念入りに手を掛ける心は、祇園町で磨かれたものだろうか。

いなりの油揚げは、一度熱湯で煮たのち湯洗いを重ねて徹底的に油を抜き、分厚い鉄の羽釜で煮ては冷ましを繰り返し、2〜3日かけて芯まで味を含ませる。巻き物も新香の皮はむき、きゅうりの種の部分を除いて、歯切れ良く食べやすいように調えてゆく。

楽屋見舞いのほか茶会の水屋見舞いなど、「もらって嬉しい差し入れ」としても名高い、この「助六寿司」。南座で舞台を務める名優や、故・三代目桂米朝と門下の噺家など錚々たるなじみ客も、最初は差し入れで出合ったという向きが多いようだ。藤井聡太竜王・名人が、伏見稲荷大社の王将戦で勝負メシに選んだのも記憶に新しい。

ちなみに3〜12月のゾロ目の日だけに供される「特製ちらし寿司」も、往年の盗塁王・福本豊氏が欠かさず求めるという、もう一つの名品だ。

万里小路 中村屋

京都市左京区万里小路今出川上ル田中大堰町145

電話:075-781-4048

営業時間:10:00~17:00 ※持ち帰りのみ。前日までに要予約。現金払いのみ。

定休日:不定休

https://nakamurayasukeroku.com/

助六寿司 1人前折 1,080円~、
進物用 3人前折 3,500円~(共に税込)

*掲載情報は2025年5月号掲載時点のものです。

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坂本 綾(アリカ)さんが綴るコラム【京都、路地のなじみ】。今回は「じわっと溢れる甘み 口福に心華やぐ助六の折」。