京の朝食
写真・木村有希 文・溝渕みなみ(アリカ)
全国約3万社の稲荷神社の総本宮・伏見稲荷大社。その門前には土産店や飲食店が立ち並び、活気があふれている。参道を進むにつれ強くなる、とある店の軒先から漂う香ばしい匂い。
つい足が止まるここは、店頭で焼くうなぎを始め多彩なメニューが供される『祢ざめ家』。1540年(天文9年)創業の老舗だ。なかでも異彩を放つのが、農作物を荒らすので退治して食すようになったというスズメや、かつて辺りに多く棲息したというウズラの焼き鳥。
古くは五穀豊穣祈願に始まる伏見稲荷大社の門前町ならではの食体験ができるとあって、京都外からも多くの客が訪れる。
そしてもう一つの名物が、「いなり寿し」だ。京都では、稲荷大神がここ伏見・稲荷山に降臨したことに由来する「初午の日」に、いなり寿しを食べる習慣が今日も残るが、伏見稲荷大社のお膝元のここでは年中楽しむことができる。黒ゴマ、ゴボウとともに麻の実(苧実)が酢飯に交ざるのが『祢ざめ家』流。
頬張れば、油揚げからジュワッと滲み出る甘辛い出汁と酢飯の酸味が幸せなハーモニーを奏でる。麻の実の殻が弾けるプチプチとした軽快な食感もクセになり、一つ、もう一つと、気づけば手が止まらなくなるほど。
油揚げは毎日2時間以上かけて炊き上げたもの。三角形に切って口を広げ、油抜きした後、代々継ぎ足してつないできた秘伝の出汁に浸し、じっくり弱火にかける。三角にする理由は、一説には稲荷神の使いと言われる狐の耳の形を模しているとも。炊き上がったら丁寧にシワを伸ばしてゆく。
厚みは1枚ごとに異なり、気温によっても仕上がりが左右されるため、味と形を一定に調えるには長年の経験が必要だという。
そんな『祢ざめ家』には、豊臣秀吉によって店が名づけられたという逸話が残る。伏見城を築き、伏見街道を整備するなど、この地にゆかり深い秀吉が、母・大政所の病気平癒を願い伏見稲荷大社に詣でた際、唯一早朝から開いていたこの店に立ち寄り一服したそう。寝覚めの良い店という意味に、正室・祢々の字を当て授けた屋号なのだとか。
「近くに泊まって観光がてらここで朝食をとる方や、早朝の参拝後にお酒を飲む方、稲荷山で食べるためにいなり寿しを持ち帰る方……。十人十色の食事風景が広がるのが当店の魅力です」と代表の今井まさみさん。その日の気分に合う食事を考えるのも旅の楽しみ。どのメニューも時間を問わず楽しめるが、秀吉もくつろいだ清々しい朝にぜひとも訪れたい。
祢ざめ家
「いなり寿し」1個150円(税込)※単品の注文は4個から。
※ 新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。ご来店時は事前に店舗にご確認ください。
*掲載情報は2022年6月号掲載時点のものです。
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溝渕みなみ(アリカ)さんが綴るコラム【京の朝食】。今回は「秀吉ゆかりの店で味わう 門前町の甘辛い口福」。