インタビュー

蓼科高原に息づく、フランス流の美意識。
『ホテル ドゥ ラルパージュ』が編み込む上質な日常

写真・大町晃平 文・渡邊卓郎

Photographs by Kohei OMACHI Text by Takuro WATANABE

蓼科高原『ホテル ドゥ ラルパージュ』オーナーの戸部浩介氏

長野県・蓼科高原の森に抱かれるように佇む『ホテル ドゥ ラルパージュ』。華美な装飾や過剰な演出とは一線を画し、訪れる人を迎えるのは、細部にまで行き届いた均衡の美。オーナー・戸部浩介氏が描いたのは、非日常としてのリゾートではなく、フランスの暮らしに学んだ「上質な日常」。その思想は、建築や空間、料理、ワイン、そしてサービスに至るまで、一貫して息づいている。

エントランス奥に広がるウィンターガーデン。扁平アーチ状の天窓からやさしい光が降り注ぐ。ソファはフランスのブランド「Duvivier Canapes」のオーダーメイド製。



オーナー・戸部浩介氏の思いが結実した『ホテル ドゥ ラルパージュ』

室町時代から温泉地として名を知られ、明治から昭和初期を最盛期に、今日まで別荘地として歩みを重ねてきた長野県・蓼科高原。その一角にある旧宮家別邸跡地に、『ホテル ドゥ ラルパージュ』がある。そこには目立つ看板や、外観にも華美な装飾は見当たらない。それでもなお、その佇まいそのものが醸し出す気配に、心が引き寄せられていく。

オーナーの戸部浩介氏がこのホテルで描くのは、特別な演出による非日常ではなく、フランスの暮らしに根ざした「上質な日常」である。

「高揚感を煽るような特別な刺激ではなく、滞在を振り返った時に『なんだか快適だったよね』と思ってもらえる場所にしたかったのです。多くのホテルは一点豪華主義的に、わかりやすい目玉をつくります。

しかし、フランスらしい豊かな暮らしを再現するには、足し算ではなく引き算が必要でした。余計なものを削ぎ落とし、そのうえで文化の香りを入れていく作業になります。その先に、本当に心地よい空間が現れてくるのです」

実業家であり美食家でもあった父と、フランス文学者の母のもとに生まれた戸部氏。幼少期から親しんできたフランスの暮らしの中で育まれた感覚は、ホテルの思想の深層に息づく。フランスが長い時間をかけて磨き上げてきた、生活様式としての洗練――世界に影響を与え続けてきた文化と文明への敬意が、『ホテル ドゥ ラルパージュ』の随所に漂っているのだ。

梁や折り上げ天井などを一切使用せず、真四角の空間を最後まで貫くという、設計思想に基づいて空間が構成されている。

意思と技術が積み重ねられた、静謐な空間美

館内に足を踏み入れると、まず気づかされるのは空間に満ちる静けさだ。視線を遮る梁や段差は極力排され、天井は高く、開放感に満ちている。

「空間にノイズを残さないことを、何より大切にしました」と語るのは、総支配人の加藤安都子さん。

設計には、フランスで主流とされる工法が随所に取り入れられている。配管や電気設備はすべて天井裏に収められ、壁には一般的なプラスターボードを使わず、躯体に直接塗装を施すフランス式の仕様を採用。壁を軽く叩くと、内部が詰まった低い音が返ってくる。その響きに、この建築が備える密度と確かさが伝わってくる。


アーチを描く回廊や螺旋階段も、『ホテル ドゥ ラルパージュ』を象徴する意匠のひとつ。図面上の曲線を実現するため、現場では高度な技術を持つ職人たちが、細かな調整を重ねてきた。ここにある美しさは偶然の産物ではなく、明確な意志と手間の積み重ねによってかたち作られている。

螺旋階段は、鉄骨で薄く軽やかに造られている。構成するなめらかなカーブには、職人の技術が詰まっている。

スイートルームの寝室。オーナーの戸部氏が強くこだわった内開きの窓が採用された。家具を決めるのと同時に照明を配置しているため、照明が当たる位置も計算され尽くしている。

ヨーロッパで多く用いられるドイツ製のスイッチを使用。ライトのスイッチひとつにも妥協をしない姿勢が唯一無二の空間を生み出す。


「毎日食べられるご馳走」をかたちにする、料理の思想

『ホテル ドゥ ラルパージュ』の料理には、クラシックなフランス料理の確かな技法が息づいている。戸部オーナーの掲げる「毎日食べられるご馳走」というテーマをかたちにするのは、総料理長の星野辰哉シェフだ。

季節ごとに構成される一皿一皿には、素材の持ち味を最大限に引き出すための下準備に多くの時間と手間が注がれている。華やかさを競うのではなく、伝統と技術に裏打ちされた輪郭のある料理を供すること。それが星野シェフの考える「毎日食べられるご馳走」である。

素材の地産地消についても、その姿勢は一貫している。「地元のものだから使う、ということではなく、どう美味しく仕立てるかが見える素材を使います」と星野シェフは語る。近隣で採れる蓼科高原野菜や信州黄金シャモなどを取り入れながらも、フランス料理として成立させるための要点は慎重に見極める。その積み重ねが、この場所ならではの味わいを生み出している。

一方で、戸部オーナー夫妻のアイデアから、日本人のゲストに向けて朝食にお粥を用意したり、そば粉を使ったガレットを提供したりといった工夫もなされている。いずれも、滞在をより自然で心地よいものにするための配慮であり、「上質な日常」を実現するための延長線上にあるサービスだ。

春のメニューの前菜として提供される「信州サーモンのミ・キュイ」。下に添えられているのは春先に甘みを増すカリフラワーのムース。

春のメニューメイン料理のひとつ「仔牛のロースト」。63度の低温で1時間火入れがされ、自家製のパンチェッタが巻かれている。



料理と響き合うワイン。
ソムリエの終わりなき探求

『ホテル ドゥ ラルパージュ』の食の体験を語るうえで、ワインの存在は欠かせない。セレクションはすべてフランス産で、しかもすべてが直輸入である。フランスワインは土地の伝統に根ざしたオリジナルであり、他国のワインはその模倣である——そんな戸部オーナーの信念に基づくセレクションにも、ぜひ注目したい。

「人の手を介すほど、ワインはストレスを受けます。できる限り現地の状態に近いまま届けたいのです」

そう語るのは、40年近いキャリアを持つソムリエの小前岳志さんだ。
セラーには約2,500本のワインが静かに眠る。

有名銘柄を揃えるのではなく、料理と共鳴し、この場所でこそ意味を持つ一本を選び抜く。「名が知られていることよりも、ここで飲む必然性があるかどうか」。その基準は、ホテル全体に通底する思想と重なり合う。

「この仕事にゴールはありません」。小前さんの言葉は、『ホテル ドゥ ラルパージュ』が常に更新され続ける存在であることを示している。

白やシャンパーニュ用、赤用、すぐにテーブルへ出せる温度のもの、と役割ごとに分けられ、厳しく温度管理されたセラーが、ワインの状態を最優先に守り続けている。

落ち着いた配色のバースペース。テーブルセットの椅子には、パリ・オペラ座の観客席と同デザインのものをフランスから取り寄せた。



日常の延長線上にある、特別な時間

食前にはバーでグラスを傾け、食後は静かな余韻を味わう。翌朝は高原の澄んだ空気の中で目覚める。『ホテル ドゥ ラルパージュ』が提供するのは、劇的な非日常ではない。昨日の続きに、さりげない上質さが添えられた時間である。

小規模だからこそ、ゲスト一人ひとりの嗜好が自然と記憶され、料理もワインも柔軟に寄り添う。「何もしない贅沢」を成立させるための目に見えない配慮が、館内の随所に行き届いている。

「オーベルジュの原点は旅籠です。土地を訪れ、その土地のものを食べること自体が、旅の喜び。『ホテル ドゥ ラルパージュ』もまた、蓼科を訪れる人々に宿と食事を提供する場です。この土地に泊まり、料理やお酒を通してフランスの豊かな暮らしを体験してもらうことに意味があります。

滞在中は、サービスも含めて、何にも引っかからない快適な時間を過ごしていただきたいですね。カシミアの手触りの日常のように、見た目の華やかさより、身につけたときの心地よさを大切にしています」

戸部オーナーが描いた世界観は、現場を支える人々の手によって、今日も更新されている。

『ホテル ドゥ ラルパージュ』には、戸部オーナーの思いと、各セクションで働くスタッフ一人ひとりの思いが、深く響き合っている。12室という限られた空間だからこそ、訪れる者にとっては、より贅沢で、特別な体験が用意されている。

スイートルームの一例。全12室のうち2室がスイートルームで、天井高3.3メートルのゆったりとした空間が広がる。


Information

蓼科高原『ホテル ドゥ ラルパージュ』
長野県茅野市北山 4035-1820
TEL:0266-67-2001(予約)
http://hotelalpage.com


戸部氏プロフィール

戸部浩介
Hirosuke TOBE
蓼科高原『ホテル ドゥ ラルパージュ』オーナー

実業家で美食家の父とフランス文学者の母のもとに生まれ、幼い頃からたびたびフランスを訪れ、フランス人の暮らしぶりに深く影響を受けてきた。長野県・蓼科で、長年にわたって愛された『ホテルハイジ』から旧宮家別邸跡地を受け継ぎ、2024年3月に『ホテル ドゥ ラルパージュ』をオープン。


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さりげない上質さが添えられた時間を提供する『ホテル ドゥ ラルパージュ』戸部浩介氏にお話を伺いました。