銀座の謎

地下鉄を降りたら
秘密のピザトーストと
香り高い珈琲

文・山口正介 イラスト・駿高泰子

Text by Shosuke YAMAGUCHI

Illustration by Yasuco SUDAKA

このところ、ずっと新作映画の紹介をしている。その関係で銀座周辺に出かける。映画関係各社は、仕事自体が銀座のようにモダンで、粋で、お洒落だということで、この辺りに社屋を持つことが多いようだ。そして、各社は社内に試写室を設けているので、公開前の新作はそこで観ることになる。

そんなことで、平日はほとんど銀座周辺にいる。僕は試写の前に軽食をとることにしていて、たいがいは試写室の近くの喫茶店でサンドウィッチなどを頼むのだった。

イラスト・駿高泰子

東銀座では、地下鉄を下車すると、地下通路を通って一旦、外に出る。今は下に高速道路が通る橋を築地側に渡って、目的の映画会社が入るビルに向かうのが定番だ。
その地下通路の傍らに小さな喫茶店があることが、前から気になっていた。以前は年かさの女性が一人でやっていたが、今は若い青年が後を継いでいる。どうやら前任者の親族であるらしい。

L字型のカウンターにスツールが8席。喫茶店というよりは、メニューなどに、その昔に存在したミルクホールの風情を今に残す。
ここではピザトーストと珈琲のランチタイムセットを頼む。これがひどく旨い。特に台となる食パンが美味しいのだ。狭いカウンターの中の、それと同じぐらい手狭なキッチンで、店長である青年が手際よく仕事をこなしている。

ある日、ふと見ると、そこに家庭用のパン焼き機が置かれていた。
僕は疑問に思い、もしかしたら、この店のパンは、それで作っているのかと尋ねると、そうだという返事だった。
つまり、この店のトーストは自家製で出来たてであったわけだ。一度に1斤程度しかできないだろうから、売り切れの日がある理由が分かった。

これにピザトースト用に選んだチーズとハムがのせられて、やはり家庭用のオーブントースターを使って、注文されてから焼き上げられる。だから、調理したてのホヤホヤというので、美味しかったのだ。
この地下通路は階段部分が隣接するビルの中を通るのだが、このビルの地上階にはよく知られている大手喫茶店チェーンが入居している。

近ごろでは、その大型店よりも、この小さな店の手作りピザトーストを食べに行くほうがすっかり多くなってしまった。店自体の歴史は古く、カウンターの客はいずれも近所の勤め人で、常連がほとんどだ。彼らの会話から銀座の噂話を聞けるのも、この店の得難いところだろうか。
夜はアルコール類もメニューに入り、ワンショットバーの趣だ。

やまぐち しょうすけ

作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。現在、『山口瞳 電子全集』(小学館)の解説を執筆中。

*掲載情報は2018年12月号掲載時点のものです。

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山口正介さんが綴るコラム【銀座の謎】。今回は「地下鉄を降りたら秘密のピザトーストと香り高い珈琲」。