銀座の不思議
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
地下鉄の東銀座駅。歌舞伎座の裏にハイエンドのオーディオ・ショップがあるというので、出かけてみた。
音楽という訳のわからない芸術がある。彫刻や絵画などに顕著だが、およそ芸術作品というものは、ここにある、ということが確実なものだ。
これに比べると音楽ほどわからないものはない。つまり、ここに確かにあるという実態を伴わないからだ。音楽は音が聴こえると同時に、どこかに消えていってしまう。彫刻のように、手に触れればそこにあるという存在感がない。
だから、僕にとって、音楽は最大の不思議なのだ。
小説などの文学は、絵画と音楽の中間に位置するだろうか。読書体験は読者の中に存在し、各人で印象が変わるからだ。少し彫刻に近いとすれば、書物は手にとって繰り返し愛でることができるからだ。
そんな音楽探求の道すがら銀座を散策すると、数あるビル群の中の、とある2階に不思議な佇まいのフロアを見つけた。銀座には、ときとして、ある趣味に特化した店舗が存在し、人知れず佇んでいるという不思議がある。
音楽を聴くという行動の中に、オーディオという存在がある。これがまた、別の意味で音楽体験を悩ましいものにしている。ここでは、音楽はレコード芸術であり、再生芸術だ。はかなく消えゆく音楽は録音という技術で、わが物になる。レコードやCDは手にとることができて、書物に似ている。
銀座の洒落た集合ビルの1室でハイエンドの音を聴けるという。歌舞伎座の裏にあったのは、『スカイラ』というオーディオ・ショップ。こちらは高級オーディオとヴィンテージ・オーディオの店であるが、いわゆるオーディオの量販店や中古を扱う店のようにスピーカーが所狭しと乱立している訳ではない。
室内を総合的にコーディネイトする目的で、お勧めのリスニング・ルームを再現する。まるで、どなたかの素敵な応接室に招じ入れられたような塩梅だ。
ここで、心ゆくまで、理想のアンプやプレーヤー、スピーカーの組み合わせを吟味できるのだ。個人経営なので、担当が変わることもなく、末永くお付き合いできそうなところもありがたい。
壁には美術作品、棚には厳選された洋酒のコレクション。陶然として高級オーディオの奏でる古今の名曲に聴き惚れれば、演奏者の姿さえ目の前に忽然と現れ、音楽もわが物にできそうな気になってくる。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2021年10月号掲載時点のものです。
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山口正介さんが綴るコラム【銀座の不思議】。「魅惑の美音を求める旅路遥か」。