銀座より道、まわり道
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
月に3回、銀座の『ヤマハ』に通っている。四十の手習いならぬ、五十の手習いではじめたサクソフォン教室で、慣れない楽器演奏を習っているのだ。
若い頃から友人のロックバンドを手伝ったり、ミュージカルやオペラの裏方などもやっていて、音楽的には恵まれた環境にあったというのに、本格的、なおかつ系統的に音楽を学ぶことがなかった。一念発起してドレミの初歩からはじめたのだが、いまだに音楽のなんたるかまでたどり着けていない。
ドイツ文学者の高橋義孝先生の芸術論に「芸術作品というものは、彫刻や絵画のように、ここからここまでが作品であるという具体的な境界線をもっているが、文学作品は各読者の頭の中で、それぞれ違った形を持つから芸術とはいえない」というような一節があったことを記憶している。
それでいけば、音楽はさらに抽象的であるように思える。音が出た瞬間に空中に消えているからだ。その実体を掴めないでいる。僕にとって音楽は、いまだに、わが人生、最大の謎なのだった。
ということで、その謎の一端でも理解できないかと思い、楽器演奏を習っているのだ。
その教室の帰りに『ヤマハ銀座店』の2階にあるカフェに立ち寄る。遅めの昼御飯を食べるためだ。瀟洒な店内には洒落たジャズ演奏が流れ、ゆったりとした客席はほとんど満席状態だ。
ピアノトリオのデータによる録音演奏が聞こえてきた。中央のグランドピアノの音は自動演奏で、実際の弦をハンマーで叩いているのだから、録音とは違って実音が出てくることは分かるが、ウッドベースやドラムセットの音も生音同然の自然な広がりを持って聞こえてくる。
ヤマハが開発した新技術で、ピアノ以外の楽器も自動ピアノ並に本物と聞き間違えるほどの音響効果を演出している。いわゆるスピーカーによる再生ではないようなのだが、僕の理解力の限界を超えていて、難しい技術のようだ。
僕は楽聖が愛したという土地と味覚にインスパイアされたピザやハンバーガーをいただいた。モーツァルトやベートーヴェンが住んだ街で供されていた食事を彷彿させるメニューが、かつてのヨーロッパ各地を旅したという楽聖たちの足跡をたどっているようで、単に音楽を聴くだけではなく、味覚からも往時をしのぶことができるという演出が、なんともありがたい。
思えば、はじめてこのビルを訪れた高校生時代からかなりたつ。レコード売り場には随分とお世話になったし、ロックの演奏会や映画の試写に訪れたこともあった。
馥郁たる珈琲と芳醇なデザートを楽しみながら、歴史をたどるのも一興だった。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2022年11月号掲載時点のものです。
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