銀座の謎
ステッキは、
男子のお洒落アイテム

文・山口正介 イラスト・駿高泰子

Text by Shosuke YAMAGUCHI

Illustration by Yasuco SUDAKA

さきごろ、『父・山口瞳自身』(P+D BOOKS 小学館)を上梓した。
その中で、父・山口瞳が最後の直木賞選考会に出席したときに使用していたステッキは、僕からみれば祖父にあたる正雄の遺品であった、と書いた。

ところが、献呈した拙著を読まれた京都の陶芸作家・竹中浩さんからお手紙をいただき、そのステッキは、竹中さんのロンドン土産であると教えられた。
瞳が亡くなったときに遺体と一緒に納棺したのでステッキが残っていなかったのと、瞳が唯一、自分の父親の遺品として長く手元に置いていたので、錯覚してしまったのだ。瞳自身がステッキを手にしたのは、最晩年というには余りにも短い、亡くなる直前の数週間のみであった。

イラスト・駿高泰子

瞳が連載していた『週刊新潮』の「男性自身」の1992年(平成4年)10月14日の記述を読むと、妻・治子のために銀座でステッキを買ったという。
これは、間違いなく銀座通りに面した老舗でのことだ。
「ステッキを買った。これは膝関節症で歩行が不自由になった妻のためのもの。銀座にはステッキ専門店があることを知った(ほかに傘や袋物も売っているが)。特に女ものというのはないそうで、細身のものを選んだ」(「男性自身」より)

このときから30年近くが経過しているわけで、現在は女性用にオリジナルカラーのステッキもあるという。
こちらのお店は1882年(明治15年)創業で前身は刀剣商であった。前にこの「銀座の謎」で銀座に刀剣商が多いのは戦後、進駐軍相手のおみやげ屋さんから発展したと書いたが、それ以前の店は明治の廃刀令で一旦は転業に追い込まれたということなのだろう。

我が家には、例の祖父の遺品である太めの竹製のステッキがいまだに残っている。洒落者だった祖父のことだから、たぶん、このステッキも銀座の同じ店で購入したものだろう。母が、その後、15年ほど使用することになる、瞳からのプレゼントも残っている。

銀座の土地柄として、多くの老舗が軒を連ねている。僕には銀座の謎の一つなのだが、そんな老舗が表通りにずいぶん残っているのだ。少し前に取り上げた、帽子の専門店もある。このステッキ専門店など、明治時代に開業した店が大通りに面して健在なのだ。
そんな銀座通りの老舗を訪ねて、ステッキ片手に銀座を歩くのも一興だ。女性に比べてお洒落アイテムが少ない男性の品格を保たせる、とっておきの小道具がステッキではないだろうか。

やまぐち しょうすけ

作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。

*掲載情報は2020年7月号掲載時点のものです。

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