銀座の謎
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
父・山口瞳が亡くなったあと、遺品を整理していたら、大きな整理箱1杯ほどの帽子が出てきた。いずれも使い古されたもので、くしゃくしゃに畳まれていたり、革製品にはカビが生えていたりして、とても使えるしろものではなかった。それほど愛用していたということになる。
僕も気がついたら一年中、なんらかの帽子を着用するようになっていた。夏はピケ帽で、寒くなるとウォッチキャップが多いのだが、気分しだいで様々な帽子を使い分けている。
帽子というものは不思議なもので、これはと思ってかぶってみても、いきなりぴたりとはこない。ああでもない、こうでもないとかぶりなおして、思案投首していると、ある日突然、なんだか似合っているように思えてくる。そして愛着もわいてきて、かぶっていないと落ち着かない、という塩梅になる。
銀座通りに老舗の帽子店がある。
ウィンドウには流行のもの、定番のものがそれとなくディスプレイされていて、季節季節でそれなりのものと交換されていく。
格式がありそうな店内には、おいそれと入れないものだが、思い切ってドアを開けると、そこにはボルサリーノをはじめとして、上等なソフトが、微妙に異なるデザインごとに積み重ねられていて、これという一品を選ぶのは、なかなか大変な作業となるのだった。
最近の僕の好みは、イタリア人が考えるイギリスの田舎紳士の装い、というコンセプトだ。なんのことはない、ちょっと高級な素材で派手な柄のものを使って、デザインは極々オーソドックス、ということになるだろうか。
かねてから狙いをつけていた、それとおぼしき製品が店頭にあったので、意を決して重厚なドアを開けて店内へと進む。さっそくお店の方に当方の希望を告げると、奥の棚からお目当ての帽子をうやうやしく取り出してくれた。
僕が上部の先端を掴もうとすると、おもむろに制止された。なんでも先端部を掴むと型崩れを起こす原因となるので、必ずつばの端を両手でつまんで、ていねいにかぶるようにと指導された。
ここが銀座の老舗のありがたいところだ。知らず知らずのうちに、礼儀作法のなんたるかを教えられる。こちらのお店は僕が子供の頃から、店構えが変わらない。これも銀座の謎ではないだろうか。
思えば、銀座の表通りから老舗といわれていたようなお店が姿を消しはじめて久しい。変わらないことも格式のうちだと思うのだが。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2020年5月号掲載時点のものです。
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山口正介さんが綴るコラム【銀座の謎】。今回は「ハットもキャップも銀座の老舗」。