銀座より道、まわり道

思い出は
銀幕の彼方に

文・山口正介 イラスト・駿高泰子

Text by Shosuke YAMAGUCHI

Illustration by Yasuco SUDAKA

せんだって、原稿を書こうとして、跡地に『ホテル西洋銀座』が建った、銀座の映画館、『テアトル東京』の名前が出てこなかった。ここはシネラマの上映が可能な巨大スクリーンの映画館で、『2001年宇宙の旅』や『天国の門』を観た記憶があったにもかかわらずだ。

地下には『テアトル銀座』があり、この二つの映画館の名前を混同していたのだ。『テアトル銀座』では『わんぱく戦争』を観たのではなかったか。

その昔、銀座にはたくさんの映画館があった。その場所も名前も憶えていないのでは、どうしようもない。

そんなときに好著が出た。『巨大映画館の記憶』(青木圭一郎著、ワイズ出版)がそれだ。最近の人は商品をネットサーフィンで探すようだが、僕はあいかわらず本ならば書店で購入する。思いがけない本を見つけることができるからだ。購入したいものが分かっているときにはネットは便利だが、自分がまさに必要としている本を発見できるのは、やはり実物の書店だ。

僕は、さっそくこの『巨大映画館の記憶』を手に入れ、ページを広げながら、ネットならぬ思い出のサーフィンに乗り出した。

イラスト・駿高泰子

映画『ウエスト・サイド物語』を母と観たのが『丸の内ピカデリー』。今の『有楽町マリオン』だ。ラストシーンで涙が溢れた僕は母にハンカチを借りた。「あんた、泣いてんの?」と言いながら、ハンカチを手渡してくれたが、すぐに「あたしも涙が出てきた」と言ってハンカチを取り返した。

その地下の『丸の内松竹』では、満員の客席で『男と女』を観たような記憶がある。『砂の器』を観たのは東銀座の『松竹セントラル』で、これはリバイバルだったのではないか。

その向かい側にあった古色蒼然とした旧『東劇』では、伊丹十三(当時一三)さんといっしょにラクエル・ウェルチ主演の『ミクロの決死圏』を観て、帰りに『三笠会館』で舌平目のムニエルを食べた。『日比谷映画』では、007シリーズの『ゴールドフィンガー』を川喜多和子さんと母と三人で鑑賞したのだった。

当時、夫妻だった伊丹さんと川喜多さんはこぞって僕に映画の楽しみを教えようとしていたようだ。

並木通りの地下にあった小さな名画座『並木座』では、閉館近くなって成瀬巳喜男の特集を観た。「やるせなきお」の異名をとる、この監督の映画は暗くて好きではないが、勉強のためにまとめて観ることにしたのだ。

『みゆき座』では『欲望』や『フィフィ大空をゆく』を観た。通学していた演劇学校の指導教官がパリで学んだ人だったので、同窓生の演技を映画で観られないかと言ったら、『フィフィ大空をゆく』の主役、フィリップ・アブロンがいると教えられた。

銀座の思い出が、奇跡的に現実と結びついた瞬間だった。

やまぐち しょうすけ

作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。

*掲載情報は2022年6月号掲載時点のものです。

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山口正介さんが綴るコラム【銀座より道、まわり道】。「思い出は銀幕の彼方に」。