銀座より道、まわり道
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
父、山口瞳が週刊新潮で連載していた『男性自身』の1995年7月13日号に「老酒」と題して銀座の『維新號』について、次のように書いている。
――私はこの店ぐらい、店のたたずまいも料理も少しも変わらない店は珍しいと思っている。――
そして続けて、
――維新號と聞いて懐かしく思う人がおられるのではないかと思う。新宿や原宿や渋谷ではなくて銀座の好きな人は一度は顔を出したことがあるのではないかと思っている。――
と書いている。
最近は町中華とかガチ中華などという言い方があり、それぞれの特徴を表しているようだ。いうまでもなく、町中華とは、家の近所にある、昔流にいえばラーメン屋だろうか。安価なラーメンと餃子などが楽しめる。それにひき替えてガチ中華とは、本格的というほどの意味で、現地の人が食べている食材と料理方法を現地の人の楽しみ方で食べるものだろう。
かつて、中国本土の出身である友人に料理の食べ方を聞いたことがある。外出先の料理店で注文するときは、自宅でいつも食べているものや、自分でもできる料理以外のものを頼むのだということだった。
つまり、それがアワビやフカヒレに代表される手の込んだ料理ということになる。下ごしらえから調理の難しさなど、時間がかかる料理が、この範疇に入るとのことだった。
僕にとっての中華料理とは、町中華でもガチ中華でもない、なんと言えばいいのか分からないが、普通の中華料理である。銀座には、そんな店がたくさんあると思う。その中でも維新號は特別なお店で、何度もお世話になっている。
この日の朝から維新號のチャアシュウメンを食べたいと思っていた瞳は、次のようにも記している。
――維新號は終戦直後ともいう時代から営業している。この店に行くのはちょっとした贅沢だった。当時としてはキラキラしている感じがあった。維新號という店の歴史を書いたら日本の戦後史の一部になるのではないかと思っている。――
僕の母、治子も終戦直後しばらくの間、お針子として働いていたとき、姉とこの店のアンマンを食べに寄っていたという。
大変長い『男性自身』からの引用になってしまったが、この2か月後に瞳は亡くなる。その日、両親はほとんど最後の二人での外食にこの店を選んだ。そして、それとは知らずに、老酒も頼んで、二人で乾杯している。
いや、母は医師から診断の結果を聞いていて、夫の余命を知っていたはずだ。勘のいい瞳も、それとなく察していただろう。万感胸に迫るとはこのことだ。
僕が維新號を愛していて、懐かしく思う気持ちも多少はご理解いただけただろうか。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2025年10月号掲載時点のものです。
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山口正介さんが綴るコラム【銀座より道、まわり道】。「懐かしい中華料理」。