銀座より道、まわり道
文・山口正介 イラスト・駿高泰子
Text by Shosuke YAMAGUCHI
Illustration by Yasuco SUDAKA
1923年9月1日の関東大震災から、今年は丁度百年目にあたる。銀座は壊滅状態になったが、不死鳥のように甦る。しかも、以前にも増して賑やかになるのだった。
その先駆けとなったのが、『はち巻岡田』だろう。そもそもは震災より前、1916年に銀座で店を構えたのだが、被災してトタンと葦簾張りの、仮店舗風の体裁で再開する。葦簾には、「復興の魁は料理にあり 滋養第一の料理ははち巻にある」と張り紙を出した。
これをモデルに、水上瀧太郎が『銀座復興』と題して都新聞に連載を開始したのが昭和6年からであった。僕は長いこと、第二次世界大戦で焦土と化した銀座の復興のことかと思っていたのだが、大震災であった。だが、東京大空襲のあとでも店を閉めていたらしい。
この原稿を書くにあたって資料を捜していたところ、昭和20年に久保田万太郎脚色の舞台として、時代設定を東京大空襲に替えて、帝国劇場で上演されたという記事をみつけた。たぶん、僕の誤解はそこから来ていたのだろう。
もしかしたら、父、山口瞳も誤解していたかもしれない。「くぼまん(作家にありがちだが、こんなあだ名で呼んでいた)の『銀座復興』」というような言い方を、よく聞いた気がする。瞳が初代の岡田庄次さんの奥さんで長く女将をつとめた、こうさんと話すときは、もっぱら芝居の話をしていたので、久保田万太郎の名前もよく出てきたのだった。
実は舞台の『銀座復興』が上演されたときは、まだ空襲で焼けた店舗は再建されていない。芝居が嘘になるという御贔屓筋からの提案で、昭和23年に改めて銀座に店を出した。僕の自慢は幼少の頃、この、確か木造だったお店にお邪魔していることだ。
だから初代庄次さんの味を知っているのではと思っていたのだが、この新しい店が出来た年に亡くなっているという。つまり、僕が生まれる前だ。したがって、知っているのは女将のこうさんと二代目の千代造さんの時代からであった。ビルとなった現店舗に移ったのが1968年、今は三代目の幸造さんが包丁を握る。
瞳はこの店を贔屓にしていて、何度も作中に登場させているのだが、『鉢巻岡田』と表記するのが常だった。読者から誤字ではないかというご指摘をよく受けたのだが、これは瞳なりに、ちょっと事実とは違って脚色してありますよ、というエクスキューズであったのだろう。
江戸料理を今に伝える名店である。
やまぐち しょうすけ
作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。
*掲載情報は2023年11月号掲載時点のものです。
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山口正介さんが綴るコラム【銀座より道、まわり道】。「銀座は常に甦る」。