銀座より道、まわり道

汽笛一声
出発進行

文・山口正介 イラスト・駿高泰子

Text by Shosuke YAMAGUCHI

Illustration by Yasuco SUDAKA

趣味の世界も広いが、なかでも「趣味の王者、究極の趣味」といわれているのが鉄道模型だ。これは確か、俳優で名エッセイスト、映画監督の伊丹十三さんから教えられたのではなかったか。

伊丹さんはご存じのように趣味人として知られ、車や料理、音楽、またフランスで覚えた球技、ペタンクの紹介など、枚挙にいとまがなかった。
しかし、おっしゃっただけで、鉄道模型セットを自宅で構築したという話は寡聞にして聞いていない。

それはともかくとして鉄道模型だ。

子どものころ、やはり鉄道模型を趣味としていた義理の叔父が、誕生日のプレゼントとして簡単な鉄道模型をくれたことがあった。欣喜雀躍して、さっそく組み立てたが、当時の安価な模型は工作精度が悪く、レールなど、子どもの力ではジョイントがはまらない。泣く泣くあきらめることが多かった。それ以後、憧れではあるが遠ざかっていた。

銀座の晴海通りで高級な鉄道模型を販売している天賞堂のことは、前から気になっていた。通りに面したちょっとしたショーウィンドウに、小振りなパノラマが展示されていた。

店舗は、例の銀座レンガ通りを覗いている、有名なキューピッド像が設置されているビルの3階にある。といっても、こちらは最近、建て替えられた新しいビルだ。建て直し中に一時は撤去されていたキューピッドが帰って来ました、ということがニュースにもなった。

ともかく、ビルの裏に回ってエレベーターで3階に上がると、ショーケースの中に憧れの鉄道模型が整然と並ぶ。

天賞堂は時計や宝飾の販売代理店として百数十年以上の歴史を持ち、戦後は当時の社長の趣味でもあった鉄道模型の販売や製作もはじまったという。
なかでも自社製作の模型は、諸外国の趣味人からも垂涎の的となっている。
箱庭の伝統もある日本で、自宅のなかに鉄道が走る景観を再現する鉄道模型は、手塩にかけてでも育てがいがある趣味ではないだろうか。

パノラマの設計から夢が広がる。欧州の山岳鉄道を模したものにするか、アメリカの大陸横断鉄道に倣うか。それぞれの植生も調べなければならない。駅舎の構築には建築の知識も必要だ。
時代考証はどうするか。ミニチュアの町並みや人物、考えればきりがない。

このきりがないというところが趣味の醍醐味である。
店舗のショーケースのなかでは、ごく初期の蒸気機関車から最新の新幹線までが整然と陳列されて、我々の夢の実現を待っているのだった。

やまぐち しょうすけ

作家、映画評論家。桐朋学園演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て小説、エッセイの分野へ。近著に『父・山口瞳自身/息子が語る家族ヒストリー』(P+D BOOKS 小学館)。

*掲載情報は2024年8&9月号掲載時点のものです。

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山口正介さんが綴るコラム【銀座より道、まわり道】。「汽笛一声 出発進行」。