写真・永田忠彦 文・下谷友康
Photographs by Tadahiko NAGATA
Text by Tomoyasu SHITAYA
東京・千代田区の神田あたりを歩いていると、時折ビルの合間に古い木造家屋を見かけることがある。その度に、東京大空襲から奇跡的に焼け残ったものだと、戦前神田で家業を起こした祖父からよく聞いたことを思い出す。
JR神田駅北口の交差点にほど近い鍛冶町の一角の、ビルの合間にちょこんとそんな木造家屋が見える。ここが河豚の老舗『満寿家』だ。冬の間は天然の最高級の河豚が食べられるが、春からはその時々の季節の料理で、美食家をまた惹きつける。
「河豚はいつまでですか?」と聞くと、「お彼岸からお彼岸までよ」と、上品で人懐っこい女将の中川治子さん。これからの季節はオコゼ、そしてその次は鱧になっていくとのこと。ならば初夏の代表作「オコゼの薄造り」を、今月の一皿に選んだ。
河豚とは違い、肉厚で弾力があるにもかかわらずふわっとしたお刺身は、秘伝のポン酢でいただく。あまりに美味しいので、ポン酢の作り方を聞いたら、「秘伝なので……」と料理長の小林真一さんにかわされた(笑)。薄造り以外の部位がまたおもしろい。カマは湯がいて酢味噌で食べる。なんとも言えないゼラチン質のつるんとした味わいが、お酒を進ませる。身皮、胃袋、肝はお刺身と一緒でポン酢だ。
「エラと骨以外は捨てるところがないのがオコゼの特徴です」と小林さん。小林さんは、今は亡き3代目に板前として長らく仕えた後、料理長になった。だから、とにかくこだわりがある。3代目の主人はよいものを手に入れるまでは妥協は絶対にしなかったそうで、市場では有名な存在だったらしい。その伝統は脈々と受け継がれ、魚はもちろんのこと、季節の野菜にしても、超一流料亭に引けを取らないものを必ず仕入れるそうだ。
タケノコの煮物はえぐみがほとんどなく、甘みを含んだ独特の旨みと、トウモロコシのような香りがする上品な一品だ。京料理のように素材そのものの味を楽しむ料理が多く、季節感を十分に楽しめること間違いない。コース料理以外にも、カウンター越しに旬の一品メニューが掛けられている。あまりにも魅力的で、ついつい追加してしまうのは仕方がない。
実はお昼は有名な鰻屋さんでもある『満寿家』。鰻好きとしては、お昼も絶対に欠かせないのである。